機関紙『同朋新聞』

第9回 本願の信心 ―本願力について(二)

親鸞聖人は、(どん)(らん)(だい)()の註釈から『(だい)()(りょう)寿(じゅ)(きょう)』を理解するためのヒントを、いくつも汲み出しておられます。そのひとつが、「他力」についての理解になります。この言葉は、世間一般に使われていたものを、曇鸞大師が仏教用語に取り入れたのであるとされています。

 

この他力ということを、本願力を表しているのだとして、親鸞聖人が厳密に意味を指定されたのです。では、本願力とはいかなる力なのでしょうか。

 

これについて曽我(そが)(りょう)(じん)先生が、たびたび触れておられたことが思い起こされます。それは次のようなことでした。曇鸞大師が「力」について、「願力(がんりき)(じょう)(じゅ)」ということを述べているが、(いん)の本願の位と()の仏力となった位、その因と果とが互いにはたらき合うことを、「成就」というのだと。それを「願もって力と成る。力もって願と()る」と註釈されている。「就」には「つく」という意味があり、就任とか就職とかと(じゅく)()されるのだが、「なる」という意味もあるとされるのです。その例として、日本の戦国時代に「毛利元就」という武将がいて、「もとなり」と読んでいた、と。それで「成就」と熟字されているのだというわけです。

 

この願力成就の註釈が出てくるのは、曇鸞大師の『(じょう)()(ろん)(ちゅう)』下巻の「()()()(じゅう)()()(どく)」を註釈している箇所なのです。この註釈の箇所は『(きょう)(ぎょう)(しん)(しょう)』では「行巻(ぎょうのまき)」の(いち)(じょう)(かい)釈の結びに全文が、「証巻(しょうのまき)」で後半が、そして「真仏土巻(しんぶつどのまき)」にも全文が引用されています。阿弥陀如来のはたらきは、因である本願のはたらきでもあり、果である仏のはたらきでもある、と。それを「願力成就」というのだ、というのです。

 

こういう展開によって『大無量寿経』の法蔵(ほうぞう)()(さつ)という名前で表される意味を、親鸞聖人が「一如(いちにょ)よりかたちをあらわして、方便法身(ほうべんほっしん)ともうす(おん)すがたをしめして、法蔵比丘(びく)となのりたまいて、不可思議(ふかしぎ)大誓願(だいせいがん)をおこして、あらわれたまう(おん)かたち」(『真宗聖典第二版』六七九頁)とお示しになられることには、聖人の『浄土論註』への深い読み込みがあったことが思われるのです。

 

そして、ここに「方便法身」という言葉が出されていますが、いうまでもなくこれも『浄土論註』にある「(ほっ)(しょう)(ほっ)(しん)()りて方便法身を(しょう)ず。方便法身に()りて法性法身を()だす」(『真宗聖典第二版』三三二頁所引)に由来することが思われるのです。さらにこれらの思索が、大乗仏教の思想をまとめている大乗の『()(はん)(きょう)』の読み込みによって、裏付けられていることも知らされるところです。

本多 弘之
本多 弘之

(ほんだ ひろゆき)

 

親鸞仏教センター所長

東京教区東京1組本龍寺住職