

他力の庭―東本願寺の庭師コラムー
第3回
庭師にとって掃除は、庭を清らかにする行為です。訪れる方は、掃除された「清らか」な状態を庭だと考えています。その裏で、清らかではない状態の庭に向き合うのが、亭主と庭で働く職人です。
私が初めて庭掃除を経験した時は、「掃除して」とは言われたものの、その場所が林との境界にあったこともあり、落ち葉を「ごみ」と認識できず、戸惑ったことを覚えています。
例えば皆さんが山の中に入った際、降り積もった落ち葉を「ごみ」とは思わないでしょう。土があれば草木が生え、鳥が運んできた種が落ちて木が生えてくるはず。しかし、人の手で草木を取り除き、落ち葉を回収する。異世界のような不自然な景色を作り出す。これが庭掃除の機能です。
かつて落ち葉や草は、肥料として田畑にすき込まれて、農家間で奪い合いになるくらいの財産であった時代もありました。そのことを思うと、今の時代は落ち葉も草も木も廃棄物として処分されるため、「ごみ」としか感じられないのかもしれません。
庭掃除には季節ごとに新しく景色を作り出しているような喜びが伴います。庭師任せはもったいない。落ち葉を溜めて、たい肥を作る場所を設けると、さらに豊かな庭生活が始まります。
鷲田 悟志(植彌加藤造園株式会社)