

親鸞聖人がお念仏の教えを自分のところまで届けてくださった師として、生涯大切に仰がれた方々がいます。「七高僧」と呼ばれるインドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空(法然)。そして「和国の教主」と仰がれた聖徳太子です。
親鸞聖人は彼らからどんな「ひかり」を受け取られたのでしょう。源空について、3回にわたってたずねています。

浄土教では、人が亡くなることを「還浄」、「浄土にお還りになる」などと表現することがあります。それは、その人が私たちを教化するために、浄土からやって来た仏(如来)だったと感じられたからでしょう。
「如来」とは、如(真実)から来た者という意味です。
源空上人は、真実の世界から私たちを教化するためにこの世界にやって来た仏だと、親鸞聖人は捉えていたのでした。源空上人の教えは、人びとに等しく浸透していきました。そのさまは、周囲の人びとにはまさしく仏の神通力のように感じられたことでしょう。
源空上人の時代は、現在とは比べものにならないほど社会が分断されていました。異なる階層では異なった文化が育まれます。そういった分断された社会の中では、言葉遣いも別のものになってきます。別の階層に属する人は、いわば「話の通じない人間」と映ったことでしょう。当時は、そういった異なる階層の人びとが同じ場所に集うことは、まずありませんでした。もしそのような場があれば、社会規範から著しく乖離しているとされたことでしょう。
そのような時代背景にもかかわらず、源空上人の生涯を描いた絵巻には、さまざまな人びとが描かれています。源空上人の会座には、普段の生活では触れ合うことがないような異なる階層の人びとが、ともに集っていたのです。
それは、単に多くの人が集まっていたというだけではありません。これらの人びとは、源空上人が明らかにされた念仏の法を聞くために集まっていたのです。
さまざまな人が法を喜んでいるということは、特別な意味を持っていました。それは、阿弥陀仏の本願のひかりがどのような人に対しても真実としてはたらくという証明であったからです。
源空上人は、当時の常識に反して、どのような人にも分け隔てなく本願の教えを説きました。その教えを聞いた人びとが喜ぶ姿は、本願のひかりが、人びとの違いを超えて届くことを証明していたのです。
優れた仏教者が亡くなることを「遷化」とも言います。これは、「教化の場所を遷す」という意味です。源空上人は、この世界で教化すべきことを十分に伝えきったから、教化の場所を遷したのです。そのお仕事とは、どのような背景を背負った人をも等しく阿弥陀仏のひかりに遇うことができるということを証明することでした。


(わけみ あきら)
大谷大学文学部仏教学科教授
京都教区近江第25西組長光寺住職