私は、ほぼ毎朝パンを食べています。ですから、出張などで京都に来ると、必ずパン屋さんへ寄って、いろんなパンを買って帰ります。
例えば、食パンを食べるとします。食パンはトースターで焼いて食べるのと、焼かずにそのまま食べるのと、どちらが正しいでしょうか。言うまでもなく、どちらも正しいわけです。好き好きです。
しかし、
「私は焼かずにそのまま食べる」
「えー、なんで? このパンは焼いたほうが絶対おいしいよ。普通、焼いて食べるでしょう」
と、お互いの意見を主張し合ったら、どうなるでしょうか。けんかになります。
今、「普通」と言いましたが、皆さんは「普通」という言葉を日常生活で使われますか。「普通はこうでしょう」、「普通はそんなこと言わない」などという会話はよく聞きます。
「普通」という言葉は、漢字を思い浮かべていただくとわかるように、「普く通じる」と書きます。「普く」とは、広く、すべてに、という意味ですから、みんなに通じるというのが「普通」という言葉の意味なのです。
しかし、私たちが日常生活で使う「普通」という言葉は、果たしてみんなに通じるでしょうか。このことは一度考えてみなければなりません。
「普通」ということを考える時に、私はいつもお好み焼きの話をします。食べ物の話ばかりして申し訳ありませんが、皆さんはご自宅でお好み焼きを食べることはありますか。好き嫌いもあるでしょうが、食べたとします。例えば、ホットプレートやフライパンで焼いて、それを切って、お皿に分けて食べます。では、お皿から口に運ぶ時に何を使われますか。箸でしょうか。それともヘラでしょうか。これを聞くと、多くの人が「箸」とおっしゃいます。
では、箸を使ってお好み焼きを食べるのは普通でしょうか。これまでずっとそうしてきた、という人にとっては普通かもしれません。
どうしてこんな話をしたかというと、私は箸やヘラで食べたことがなかったからです。今は箸で食べますが、子どもの頃はナイフとフォークを使って食べていました。こういう話をすると、「へえ、珍しいね」とか「変わっているね」と言う人がほとんどです。ということは、私は普通ではない、ということになります。しかし、私にとっては普通だったのです。
実は、2、3日前の夕食がお好み焼きでした。教えたかどうかは、はっきりと覚えていませんが、3人の子どもの中で、末っ子の息子だけがナイフとフォークを使って食べています。それで息子に聞いてみたんです。
「お好み焼きをナイフとフォークで食べるのは普通なの?」
と。そうしたら息子は、
「うん、普通だよ」
と言いました。
何を言いたいかというと、「普通」と言っても、みんな違うということです。みんな「私」の「普通」を生きています。ですから、私が子どもの頃のお好み焼きの食べ方を聞いて、「それは普通じゃないね」と言われても、私にとっては普通なのです。
「普通」はみんなそれぞれ違いますから、例えば、言い合いになった時に、自分と違う意見の人をどれだけ責めても問題は解決しません。問題はどこにあるかというと、「私は正しい」、「私は普通だ」と囚われている「私」にあるのではないでしょうか。