宗派情報 樹心佛地(じゅしんぶっち)

「一人の念仏者の誕生」を願い(真宗2026年2月号掲載)

樹心佛地
2026.01.26

近年どこのお寺でもご門徒の参拝が減少している。従来は農閑期に近郷近在のご門徒宅または集会所等でお講が開かれ、仏法が語られてきた。また、朝夕どこの家からも聞こえてきた「正信偈」のお勤めの声も、この頃はめっきり少なくなってきている。

 

こうした真宗の麗しい宗風が失われている中で、お清め・お祓い・お礼・お守り・占い・呪いなど、おおよそ真宗には馴染まないものが増えているように思える。

 

蓮如上人の御文に「当流の安心の一義というは、ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり。(中略)このゆえに一切の聖教というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり」(『真宗聖典 第二版』1005頁)という言葉がある。

 

真宗では、本当の安心というのは、お念仏を申す私になることによって得られるのだ。そしてもろもろの雑業を説くすべてのお聖教は、まさにお念仏の優れた効能を私たちに教えるためにあると説かれている。

 

法然上人は「廃立」という思想で浄土宗を興隆されてきた。「雑業を棄てるために説き、念仏は立てるために説く」という見解である。親鸞聖人は「雑行を棄てて本願に帰す」といい、蓮如上人は「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命す」といわれた。真宗門徒でありながら、私たちは、法然上人が、親鸞聖人が、そして蓮如上人が捨てられたものを拾い、法然上人が、親鸞聖人が、そして蓮如上人が大切にいただかれたものを捨ててはいないだろうか。

 

原点に帰るべく「一人の念仏者の誕生」を願い、教団も寺院もそのためにこそあるのだということをあらためて確かめてまいりたい。

樹心佛地一覧へ戻る
宗派情報 -真宗WEB版-
TOPへ戻る