身心柔軟 ─念仏者の生活─

宗務総長 木越 渉
本年もまた、如来の光に照らされつつ新たな一年が始まりました。
一昨年の元日に発災した令和6年能登半島地震を経験し、新年を祝う気持ちだけでは決して済まされない、火宅無常の世に生かされる人間存在の深い悲しみに思いを馳せつつ、被災地で生活する御同行の皆さまを憶念する年頭です。
ここにあらためて、今なお苦難の生活を送られている方々に心よりお見舞い申し上げます。また、復興に向けて被災者の方々と歩みを共にされておられる皆さまに、衷心より感謝申し上げます。
さて、一昨年の元日を調査期日として実施した第8回「教勢調査」では、門徒の減少、伝統的に篤信地帯といわれる北陸などで盛んな講の激減をはじめとした教化組織の衰退・解体が指摘されました。また、正信偈のおつとめができる門徒の減少に象徴される、浄土真宗の伝統・文化の全国的な変化が明らかになりました。殊に能登は深い信仰生活に裏打ちされた、お念仏の声が染み込んだ土徳の地であります。能登の復興とは、信仰生活の復興でもあります。引き続き能登に心を寄せて参りましょう。
そして本年は「教勢調査」の分析結果を基に、あらためて「一人の念仏者の誕生」を期し、様々な宗派施策の再点検・再構築を行い、次世代に確かにお念仏の教えを受け渡すことができるよう、行財政改革をはじめとした取り組みをさらに推し進めていく重要な年です。
人間の手による改革は、様々な障壁に直面し、時に対立を生み出すこともあります。しかし、我々が歩む道は、お念仏を賜る道であります。人間が握りしめる正義の危うさを仏智によって知らされながら、一歩一歩対話を重ねて参りたいと思います。
今、宗門が直面する課題は、確かに難題ではありますが、如来の光に照らされ、教えられてみれば、宗門にご縁を賜った私一人の問題であります。それぞれの場において、力を尽くして参りましょう。
説(たと)い我、仏を得んに、十方無量不可思議(じっぽうむりょうふかしぎ)の諸仏世界の衆生の類(るい)、我が光明を蒙(こうぶ)りて其の身に触れん者、身心柔軟(しんじんにゅうなん)にして、人天(にんでん)に超過せん。若(も)し爾(しか)らずは、正覚(しょうがく)を取らじ。
(『仏説無量寿経』、『真宗聖典 第二版』22頁)
この願文にあるように、お念仏があるということは、柔らかなる心を如来から賜るということでもあります。
道徳や知識で、人間の身心を本当の意味で柔軟にすることはできません。如来の光のみが、凡夫である私の身心を柔軟にすることができるのです。それは、まさに念仏によって開かれる宗教生活です。
設い我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍(むしょうぼうにん)・諸(もろもろ)の深総持(じんそうじ)を得ずは、正覚を取らじ。
(同 22~23頁)
本年没後50年を迎える金子大榮氏は、大経の第三十三願「触光柔軟(そっこうにゅうなん)の願」と第三十四願「聞名得忍(もんみょうとくにん)の願」を念仏者の生活の基本になる願文であると読み解いてくださっています。
先達の教えに導かれながら、我々が握りしめた物差しではなく、日々如来回向の念仏を賜り、その握りしめた握りこぶしを開きつつ、共に念仏者の大道を歩ませていただきましょう。
南無阿弥陀仏